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2007年05月 アーカイブ

なんだかんだでGW、そして誕生日

2007年05月15日 02:09

最近夜中に弥悟が起きてきて「とーちゃんと寝る」と言い出すことが多くて、あまり日記を書けてませんでしたが、なんだかんだでGWが終わり、そして誕生日もやってきました。
ちゅーことでまあざっくりGWの報告を。

GW前半:カミさんの実家へ。カミさん一族で二日市温泉に一泊。だざいふえんなどで楽しむ。
GW後半:ワシの実家へ。うちの実家一族で北九州の親戚宅に一泊。到津の森公園などで楽しむ。

有休も足して10連休だったんだけど、なんかあっちゅー間でしたな。



35

2007年05月15日 02:48

次は誕生日。35になりました。
でもまあ誕生日にやったことと言えば、前日夜中から部屋の片付け、当日夜中も部屋の片付け(笑)
まるで試験前の学生ですな。

誕生日翌日は会社の阿波踊り同好会主催の新人さん歓迎呑み会。
いい機会なので聞いてみたら、やはりいました、一回り(12歳)下の新人さんが(笑)
なんだかんだで面白げな新人さんがいっぱいで、いろいろ楽しみであります。

誕生日翌々日は、一家で焼き肉を食いに。名目はワシの誕生日とカミさんの母の日とで。
うわー久しぶりの焼き肉だよ~、カルビとかかな~り久しぶりだよ~。うまー!うまー!

そんなこんなな週末でしたとさ。



こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)について考える

カテゴリー: | | 2007年05月16日 02:15

熊本の慈恵病院に設置され、開設初日に、3歳くらいの男の子が預けられていたこうのとりのゆりかご(いわゆる赤ちゃんポスト)について、子を持つ親としていろいろと考えた。
この文は、ただの一個人の考え・感想でしか無く、ここでその考えを表明したところで、世の中的にはなんの影響も持たないかもしれないけど、それでもこの場で言っておきたいと思う。

まず、自分の立場を明らかにしておきたい。
ぼくは、こうのとりのゆりかごの設置には賛成(少なくとも、反対ではない)だ。

こうのとりのゆりかごについては、世間として賛否両論ある。賛成派の根拠は「捨てられることで失いかねなかった命を救うことができる」といったもので、反対派の根拠は「子供を捨てる行為を助長する」といったものだ。

しかし、反対派の方々に、こうのとりのゆりかごを利用しようとしている人に、そして子を持つすべての親に考えて欲しい。こうのとりのゆりかごとはそもそもどんなものなのかを。
こうのとりのゆりかごは、『子供を捨てる場所』ではない。『子供を捨てると、あとは誰かが適当に育ててくれるところ』では決してない。
こうのとりのゆりかごは、どうにも立ちゆかなくなった親が『子供を捨てる』という行為に踏み切ってしまう際に、その子供の『生存の確率』を高めるための受け入れ設備でしかない。つまり、捨てられる子供にとってのセーフティネットなわけだ。

後者の『捨てられる子供にとってのセーフティネット』があることによって、前者の行為が助長されるだろうか?たとえて言うなら、シートベルトがあるからと言って、わざと事故を起こす人が増えるだろうか?
さらに多くの車にエアバッグが付くことで、もっと『事故を起こしたっていいんだ』という風潮になっていくのだろうか?

ぼくにはそうは思えない。子供を捨てると言う行為に踏み切る際に、その捨て先として、捨てられる子供が生き延びることができる可能性が高い選択肢が一つ増えただけで、子供を捨てようと考える人が増えたり、子供を捨ててもいいんだと思う人が増えるとは思えないし、そうはなって欲しくない。
慈恵病院側も、おそらく同じ考えなのだろう。「私たちは“こうのとりのゆりかご”への赤ちゃんの受け入れはあくまでも「緊急避難」的な措置であり、事前相談こそが母と子、双方を救う道であると考えています。(2.“こうのとりのゆりかご”って何?より)」と明言している。
だからこそ、こうのとりのゆりかごとはなにものであるかを、みんなにしっかり考えて欲しいと思う。


以上をふまえた上で、今回の、3歳くらいの男の子が預けられていた件について。
報道によると、男の子は健康状態に問題はなく、自分の名前と年齢を言うことができ、父親に連れられて新幹線に乗って福岡から来た、と話しているらしい。
ちょうど、うちの上の子と同じくらいの年齢であり、また物心のつき加減であるようだ。親になつくし、日々成長がわかる、一番かわいい盛りである。

今回、預けに来た家庭の背景状況は今のところ一切わからない。だから、これはぼくの勝手な思いであるが、他に選択肢はなかったのだろうかと強く思う。

ここで、選択肢について誤解を恐れずに書くと、ぼくは『子供を手放すという選択肢以外(=育児を継続するという選択肢)を必ず選べ』と言っているわけではない。

例えば、いま突然うちのカミさんが死に、そしてうちの実家やカミさんの実家にも頼ることができず、そしてぼく自身は職を失ってしまうような事態がやってきたら…
あるいは、目の前にいる我が子がどうしてもかわいいと思えず、気がつくと子供の生死に関わるほどの暴力をふるってしまっているような事態がやってきたら…
それでもぼくは、3歳と1歳の子供の育児を継続する、という選択肢を常に選ぶことができるだろうか?そして、この文を読んでいる皆さんだったらどうだろうか?
即座に『それでも絶対に育児を継続することを選ぶに決まっている』と返答できる人は、よほど強い人か、想像力が足りない人のいずれかであろう。
ぼくには、現時点でそんなセリフを即答できそうにない。何をどう頑張っても、『子供を手放す』という選択肢を選ばざるを得ない状況は十分に起こりえる、と思う。

だから、今回預けに来た家庭が『子供を手放す』という選択肢を選ぶよりほかに手がなかった可能性は十分に認めた上で、それでも今回の『わざわざ県境を越えて、こうのとりのゆりかごが本来想定していない年齢の子供を預けに行く』という選択肢以外無かったのだろうか、他の選択肢があったのではないか、と思うのだ。

社会制度的に言うと、他の選択肢は準備されていた。例えば児童相談所への相談や、乳児院など児童福祉施設への預け入れなどだ。
しかし、今回預けに来た家庭にとっては、それらの選択肢は、もしかしたら『存在していなかったも同然』だったのかもしれない。例えばそれらの選択肢の存在について周知が不足していたり、あるいは制度的に利用しにくい物であったとすれば、そういった事態は十分起こりえる。

だから、もし万が一、今回預けに来た家庭の方や、これから同じことをしようとしている方がこれを読んだなら、ぜひともそういった他の選択肢があることを知り、そちらにも思いを馳せて欲しい。また、マスコミには、そういった選択肢があることを広く知らしめて欲しい。そして、自治体などには、そういった選択肢の存在についての周知や、必要であれば制度改善を進めて欲しい。

そして最後に、今回預けられた男の子に、今後よい風が吹くことを願ってやまない。



こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)に預ける行為について考える

カテゴリー: | | 2007年05月17日 02:24

前エントリー『こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)について考える』の続きです。

前エントリーのコメントで月夜さんも書いているとおり、熊本県警は今回の件について、保護責任者遺棄罪の適用は難しい(=事件性がない)と判断し、父親を特定するなどの捜査は行わない方針としたようです。

実はぼくは、この『こうのとりのゆりかごに預ける行為』が、事件性を持つのかどうか(あるいは事件性を持たせるべきか否か)については、賛否について微妙なのです。

少し長くなると思いますが、ぼくの考えを述べていきます。

まず、『こうのとりのゆりかごに預ける行為は、常に事件性を持たない』となることには明確に反対です。
事件性の有無については、その都度適正な調査・判断が行われたのちに決定されるか、あるいは一旦『事件性がある可能性がある』として捜査を実施し、その結果をもとに最終的に決定されるべきであると考えています。それは以下の理由からです。

1. こうのとりのゆりかごは、『預けられる子供の生命を守るための設備』であり、『子供を捨てるという行為を免罪するための物』ではないこと。

こうのとりのゆりかごが『子供を捨てるという行為を免罪するための物』に成り下がってしまっては、こうのとりのゆりかご設置反対派の反対根拠である『子捨てを助長する』に対して有効な反論ができなくなります。
慈恵病院も、こうのとりのゆりかごを子捨ての免罪符にするつもりはないと思います。2-4. ゆりかごのシステムについて(フローチャート)には、病院からの連絡先として、明確に『南警察署』を規定しています。こうのとりのゆりかごに子供が預けられた場合に、事件性が全くないというのであれば、警察への連絡は不要なはずです。

2. 調査・捜査の過程において、子供を捨てるという行為を行った実行者以外で、預けられた子供を保護・養育する意思のある関係者が発見される可能性があること。

今回の一件は、父親が子供を連れてきたとのことです。それに対してぼくは前回のエントリーで(注意深く読んだ人にしかわからなかったと思いますが)『預けに来た家庭』と表現しました。しかし、実のところ、今回の一件が、預けに来た家庭の総意によるものなのかどうか、調べてみない限りははっきりとわからないはずです。
2006年の1月に、埼玉県熊谷市のショッピングセンターで、今回と同じ3歳の男の子が置き去りにされた事件がありました。この事件では、男の子は保護されると同時に保護責任者遺棄の疑いで捜査が行われました。それでも身元が判明しなかったため、男の子の顔がマスコミに公開され、その結果、男の子の父親が名乗り出ることとなりました。ちなみに、置き去りを実行したのは、その男の子を連れて家出していた母親でした。つまり、男の子の父親は、捜査やマスコミ公開がなければ、自分の子供が置き去りにされたことすら知り得ない状態だったわけです。
これは、現実的に起こりえることです。子供がいたが離婚別居→子供を引き取るが養育できなくなる→かといって別れた相手にも渡せない・渡したくない→子供を捨てる→別れた相手はそれを知らない、などなど。


上記の2.については、預けられた子供の今後についてベストな選択肢を用意するために、事件性の有無や罪に問えるかどうかを抜きにして調査を行う機関が警察以外に存在していればいいのかもしれません。そして、それこそ地の果てまで追いかけて実行者の身元を特定し、罪に問うのではなく、相談に乗り、必要に応じて育児支援申請、乳児院入院や養子縁組などの法的手続きを行う支援を行うような機関であれば、1.の問題についてもクリアできると思います。
(子供の養育を断念した親が、法で定められた手続きを行い、他者に子供の養育をゆだねる、ということに対して『子捨てを助長する』という人はさすがにほとんどいないでしょうから。)

しかし、現実的には、そのような調査能力や権限を持った機関としては、警察しか存在していないのが実情でしょう。そして、警察が動くためには、少なくとも『事件性がある可能性がある』必要があるわけです。それが、冒頭に述べた、「『こうのとりのゆりかごに預ける行為は、常に事件性を持たない』となることには明確に反対」という話につながるのです。


今回の件に関しては、冒頭に書いたとおり、熊本県警は父親を特定するなどの捜査は行わない方針をきめたようです。しかし、預けられた子供にとっては、それがほんとに最良の選択だったのか…
男の子の母親(いればですが)は、本当に男の子をこうのとりのゆりかごに預けることに同意していたのか…
もし、同じような年頃の男の子供を持ち、そして離婚や別居などでその子と離れているお母さん方がこのブログを読んでいたら、すぐにその子がちゃんと相手方のところにいるかどうかを確認してみて下さい。おねがいします。



【こんなものを○った】【喰った】海軍ラーメン徳島風

カテゴリー: , | 2007年05月22日 01:31

海軍ラーメンはじめました
少し喰った後
松茂町の徳島空港に隣接している(というか同じ敷地内にある)海上自衛隊徳島教育航空群の基地公開で、旧日本海軍が軍艦の中で出していたという海軍ラーメンを喰えるとのことで行ってきました。

行ってみると、なんか人がいっぱい走ってます。入場時にもらったチラシによると、どうやら、滑走路内を走ることができるマラソン大会が開催されている模様。そのほかにも、練習機のシミュレーターの体験飛行とかあるようだが、とりあえずラーメンの様子を…

むおー、11時半販売開始の1時間前なのにもう40人くらい並んでるよ、これは並ばねば…ってことで、一家で並びましたよ。途中で弥悟には綿アメを買い、昼ご飯用に焼きそばを買い、そして子供達は先に昼ご飯突入、父は一人で待ち続け……
ありゃ?ウチの会社の人がちらほら見えるぞ、かなり後ろの方だが喰えるのか?がんばれよー。

で、我が家は買えました。一杯\300ナリ。よかった。飛行シミュレーターは定員に達したみたいでしめきりとかアナウンスがあるし、これで喰えなかったら泣くところでした。

写真は、あまりの空腹に耐えかねて二口ぐらい喰ったところで『あぁっ、しゃ、写真撮らねば』と思いだして撮った海軍ラーメンです。
味はしょうゆベースでとろみ有りのスープに、チャンポンに近い感じの麺で、あぁこれを水兵さんは喰ってたんだなぁと思いつつぺろりと完食。まあ、最上級というわけにはいきませんが、旨い方です。ここでしか喰えないというプレミア感まで入れると大満足。
あとから聞いた話によるとウチの会社の人たちも喰えたようです。よかったな。

あ、ちなみに、今回チャンスを逃した方で、海軍ラーメンをどうしても喰いたいって方は、レシピが公開されてますんでどうぞ。

ちなみに次は焼きそばの模擬店でついでに買った「海軍カレー」の試食記かな?



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