2011年03月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

« こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)について考える | メイン | 【こんなものを○った】【喰った】海軍ラーメン徳島風 »

こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)に預ける行為について考える

カテゴリー: | | 2007年05月17日 02:24

前エントリー『こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)について考える』の続きです。

前エントリーのコメントで月夜さんも書いているとおり、熊本県警は今回の件について、保護責任者遺棄罪の適用は難しい(=事件性がない)と判断し、父親を特定するなどの捜査は行わない方針としたようです。

実はぼくは、この『こうのとりのゆりかごに預ける行為』が、事件性を持つのかどうか(あるいは事件性を持たせるべきか否か)については、賛否について微妙なのです。

少し長くなると思いますが、ぼくの考えを述べていきます。

まず、『こうのとりのゆりかごに預ける行為は、常に事件性を持たない』となることには明確に反対です。
事件性の有無については、その都度適正な調査・判断が行われたのちに決定されるか、あるいは一旦『事件性がある可能性がある』として捜査を実施し、その結果をもとに最終的に決定されるべきであると考えています。それは以下の理由からです。

1. こうのとりのゆりかごは、『預けられる子供の生命を守るための設備』であり、『子供を捨てるという行為を免罪するための物』ではないこと。

こうのとりのゆりかごが『子供を捨てるという行為を免罪するための物』に成り下がってしまっては、こうのとりのゆりかご設置反対派の反対根拠である『子捨てを助長する』に対して有効な反論ができなくなります。
慈恵病院も、こうのとりのゆりかごを子捨ての免罪符にするつもりはないと思います。2-4. ゆりかごのシステムについて(フローチャート)には、病院からの連絡先として、明確に『南警察署』を規定しています。こうのとりのゆりかごに子供が預けられた場合に、事件性が全くないというのであれば、警察への連絡は不要なはずです。

2. 調査・捜査の過程において、子供を捨てるという行為を行った実行者以外で、預けられた子供を保護・養育する意思のある関係者が発見される可能性があること。

今回の一件は、父親が子供を連れてきたとのことです。それに対してぼくは前回のエントリーで(注意深く読んだ人にしかわからなかったと思いますが)『預けに来た家庭』と表現しました。しかし、実のところ、今回の一件が、預けに来た家庭の総意によるものなのかどうか、調べてみない限りははっきりとわからないはずです。
2006年の1月に、埼玉県熊谷市のショッピングセンターで、今回と同じ3歳の男の子が置き去りにされた事件がありました。この事件では、男の子は保護されると同時に保護責任者遺棄の疑いで捜査が行われました。それでも身元が判明しなかったため、男の子の顔がマスコミに公開され、その結果、男の子の父親が名乗り出ることとなりました。ちなみに、置き去りを実行したのは、その男の子を連れて家出していた母親でした。つまり、男の子の父親は、捜査やマスコミ公開がなければ、自分の子供が置き去りにされたことすら知り得ない状態だったわけです。
これは、現実的に起こりえることです。子供がいたが離婚別居→子供を引き取るが養育できなくなる→かといって別れた相手にも渡せない・渡したくない→子供を捨てる→別れた相手はそれを知らない、などなど。


上記の2.については、預けられた子供の今後についてベストな選択肢を用意するために、事件性の有無や罪に問えるかどうかを抜きにして調査を行う機関が警察以外に存在していればいいのかもしれません。そして、それこそ地の果てまで追いかけて実行者の身元を特定し、罪に問うのではなく、相談に乗り、必要に応じて育児支援申請、乳児院入院や養子縁組などの法的手続きを行う支援を行うような機関であれば、1.の問題についてもクリアできると思います。
(子供の養育を断念した親が、法で定められた手続きを行い、他者に子供の養育をゆだねる、ということに対して『子捨てを助長する』という人はさすがにほとんどいないでしょうから。)

しかし、現実的には、そのような調査能力や権限を持った機関としては、警察しか存在していないのが実情でしょう。そして、警察が動くためには、少なくとも『事件性がある可能性がある』必要があるわけです。それが、冒頭に述べた、「『こうのとりのゆりかごに預ける行為は、常に事件性を持たない』となることには明確に反対」という話につながるのです。


今回の件に関しては、冒頭に書いたとおり、熊本県警は父親を特定するなどの捜査は行わない方針をきめたようです。しかし、預けられた子供にとっては、それがほんとに最良の選択だったのか…
男の子の母親(いればですが)は、本当に男の子をこうのとりのゆりかごに預けることに同意していたのか…
もし、同じような年頃の男の子供を持ち、そして離婚や別居などでその子と離れているお母さん方がこのブログを読んでいたら、すぐにその子がちゃんと相手方のところにいるかどうかを確認してみて下さい。おねがいします。



トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.ronax.net/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/876

コメント (1)

月夜:

今日の、(正確には昨日の)東京の嬰児ゴミ捨て事件。
あれを見たとき、ああ、本当にこうのとりのゆりかごがあれば…と、とっさに思った。
命に別状がなかった、ということがせめてもの幸いだが、この子が大きくなったとき、自分の出生を知ったとき、どう思い、葛藤するのだろう、と、胸が痛くなった。
実はレディコミ雑誌でさ、大学生相手のゼミって設定で、これを取り上げていたんだが、講師役は実はコインロッカーベイビーだった、という結末で、胸に刺さったのは、「すくなくとも、あそこで死んでいれば、恨むことも、自分の存在を否定することも、苦悩することすらもできなかったはずだ。生きているからできる。それがいいことなのか、どうかはわからないけどね」って、最後に講師役が言ったんだ。


・・・・。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

Technorati

Technorati search

» ここにリンクしているブログ